INTERVIEW
女将のちからで会津ファンが増加。
将来は山の上にサロンを!?
福島県会津若松市:馬塲 由紀子 氏
地域を支えるキーパーソンに、逆参勤交代から広がるつながりを語っていただく「INTERVIEW」。 今回は、福島県会津若松市を代表する割烹「田季野」の女将、馬塲 由紀子さんにお話を伺いました。
地域によってキーパーソンのカラーはさまざまにありますが、会津若松の割烹「田季野」の女将、馬塲由紀子さんには、ふんわりと受け止めてくれる優しさと安心感があります。
インタビュアーである松田智生(丸の内プラチナ大学副学長・逆参勤交代コース講師/三菱総合研究所主席研究員)は、以前からセミナーや講演などを通して会津若松にゆかりがありますが、馬塲さんを窓口にすると諸事万端が滞りなく進む。今回、田口真司(丸の内プラチナ大学副学長/エコッツェリア協会プロデューサー)と共にお話を伺い、これからの会津若松での展開でも馬塲さんの存在が重要であることを再認識するインタビューとなりました。
田口 会津若松にお邪魔したのは2017年のことで、丸の内プラチナ大学 逆参勤交代コースの前身である「ヨソ者街おこしコース」での訪問でした。馬塲さんには、会津若松以外の地域をテーマに扱った際にも、当協会が運営する3×3Lab Futureにお越しいただくなど、活発にご参加いただいていましたよね。我々が訪問した際、最終的には市長へのプレゼンテーションを行う形で締めくくりましたが、あの活動にどのような印象を持たれましたか。
馬塲 さまざまな方々とのつながりが広がったということが、何よりの実りであったかと思います。外から見た会津若松についてお話を伺う素晴らしい機会になりました。外から見て会津に足りないもの、求められるものが何なのか。日頃会津の中にいると感覚的なことが分かりませんし、なかなか耳に届かないことが多いですが、みなさまから本当にいろいろな角度でお話しいただいたことが大変勉強になりましたし、成長する良い時間になったと思います。
田口 地域にとって良い話だけでなく、課題を正直に聞く機会はなかなかありませんよね。まさにそのあたりが松田さんの狙い通りだったのではないでしょうか。
松田 そうですね、一方でそれも会津若松の魅力あってこそのことだったと思います。結果として、会津ファンがものすごく増えましたよね。何度も訪問するようになった人もいますし、東京の「日本橋ふくしま館」での日本酒イベントにも、たくさんのメンバーが参加してくれました。こうして結束力のある“会津若松チーム”が生まれたのは、ヨソ者が関われる余白を会津若松のみなさん、何より馬塲さんに作っていただけたことが成果だと思います。
田口 僕個人としては、会津で白虎隊の歴史に触れ、町並みを拝見して、やはり歴史と地理は学ぶ必要があると目が覚める思いでした。日本人が大切にしないといけないことだと教えられた気がします。我々の訪問後、何か丸の内プラチナ大学の影響を感じられることはあったでしょうか。
馬塲 東京のみなさまが会津若松のことを熱心に考えてくださったことに、市長はじめ地元のみなさんも感動していましたし、学ぶ姿勢にすごく刺激を受けたと仰っていました。「我々ももっと頑張らないと、学ばないと」と話す方もいらっしゃいましたね。
松田 「化学反応」ですよね。外からの視点や考え方を知って刺激を受けて、地域の中で活性化が進む。一方で、訪れた我々も、すごく刺激を受けてチームの中で化学反応が起きたと思います。それがよく現れていたのが、初日の夜の宴会ですね。お話が大いに盛り上がり、二次会に進んで延々と会津について語り合っていました。
田口 会津若松への訪問が実現したのは馬塲さんのお力によるところが大きいのですが、我々からすると、馬塲さんが強い郷土愛を持って発信し続けている、そのモチベーションがどこから来るのかがとても気になるんです。
馬塲 2011年3月の震災の後、1カ月まったくお客様がいらっしゃらなかったんです。それまではお客様がご自分で情報をキャッチしてくださっていたので、こちらから積極的に情報を発信することがなかったのですが、震災以降は、情報を発信しないと埋もれてしまうという危機感を強く覚えました。それを機に、手探りでパソコンを使いながら発信していくようになりました。いざ始めてみると、コツコツと続けることが性に合っていたようで、割烹のことだけでなく、会津のことを少しずつお伝えしていこうと思うようになったんです。そこからどんどん関わりが広がっていきました。
田口 震災の被害、風評被害があったかと思います。かなりのダメージがあったと拝察しますが、戻るまでにどれくらいかかったのでしょうか。
馬塲 震災の後は、たくさんの方のご協力のお陰で復興・回復は早かったと思います。むしろ、回復後の状況をどう維持するか、自助努力が問われたところです。そこでもやはり外部のみなさまのご支援をいただいて、どうにか今の状態まで戻ることができたかなと感じています。
田口 今後のことについてもお聞きしたいのですが、首都圏などの都市部と地域の交流、関係性にどんなことを期待しているでしょうか。
馬塲 どの地域も、一度訪問することで距離が縮まり、そこに足を運びやすくなると思います。「あの人に会いに行こう」「思い出の場所にちょっと行ってみよう」とみなさまに思っていただくきっかけを、逆参勤交代を通して松田さんに作っていただいたと思っておりまして、本当に私にとっての宝物です。
実は今、ちょっと立ち寄って骨休みしていただけるような場所を、山のほうに作りたいなあという気持ちがあるんです。これはビジネスとは少し離れてしまうのですが、日々、一生懸命働いている方々のための癒しの場所づくりをしたいと構想中です 。
田口 癒しの場所づくり、とても素晴らしいアイデアですね。例えばそこに、地元の子どもたちとの交流の機会があると素敵だと思います。子どもたちは東京で働く大人の経験を知ることができますし、大人は子どもたちに伝えることで、自分の仕事を見つめ直す機会になりますね。 もうひとつ、東京から会津若松にアプローチするうえでのコツのようなものがあればお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。
馬塲 会津若松は横のつながりが強い地域ですので、まずは、会津若松のなかに知り合いをたくさん作る機会を持つことが大事かと思います。丸の内プラチナ大学も、地域の方とつながる良い機会のひとつですよね。
松田 実際に、我々が会津若松と接点を持とうとした時、田季野が人の集まる場になり、馬塲さんがコンシェルジュになってくださったのが大きいと感じています。会津若松で馬塲さんの紹介だと言うと途端にハードルが下がる。私はこれを「田季野マジック」「馬塲マジック」と呼んでいます(笑)。
馬塲 そんな風に仰っていただけて嬉しいです(笑)。 日々信頼していただけるように日常を送るようにしておりますので、それを地元のみなさんにも認めていただけたのかなと思います。
田口 「信頼感」がすごく重要なキーワードだと感じました。3×3Lab Futureもオープンなコミュニティを作っていますが、その根底には「信頼」があり、それを損なわないための気遣いや工夫もある。それは、会津若松も同じだと思いますし、その信頼関係を互いに広げていくことができればいいですね。
松田 今日のお話を伺って、“サロン”のようなものがあるといいなと思いました。3×3Lab Futureにも田季野にも、集まった人が前向きに話し合う拠点としてのサロン文化が生まれるといいなと。そこで大事なのは、やはりコンシェルジュで、馬塲さんのようなキーパーソンのお力が必要になると思います。
馬塲 交流の幅という意味では、実は山のほうには畑も作ろうと思っています。お越しくださったみなさまに旬の種をまいていただいて、収穫できたらご自宅にお送りする、ということができれば、また会津若松を好きになっていただけるのではないかと考えています。
田口 それはいいですね。逆参勤交代コースだけでなく、アグリ・フードビジネスコースなど、丸の内プラチナ大学の他コースとの共催もできるかもしれません。
松田 過去の振り返りだけでなく、将来に向けた明るい材料をたくさんいただくことができました。コロナ禍ではありますが、状況を見ながらまた訪問したいと思います。本日はありがとうございました。
Profileプロフィール
馬塲 由紀子 氏(ばば ゆきこ)
割烹「田季野」 女将
昭和44年生まれ。宇都宮出身。父の実家がある会津若松市に14歳の時転校。
中学、高校時代は地元で過ごし、日本体育大学へ進学。卒業後、地元銀行に就職。
結婚を期に家業に従事し、平成21年より現職。郷土料理を通じて会津の魅力を発信している。
<田季野について>
日光街道沿の南会津田島町から昭和57年に移築。
陣屋は参勤交代の際、大名様方がお休みになられた建物として知られる。